長野県滿洲開拓史・総編・各団編・名簿編・3冊/長野県民への総合的報告書に代え満州移民事業とは何であったかの課題を識者に訴えるもの 最高

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長野県滿洲開拓史・総編・各団編・名簿編・3冊/長野県民への総合的報告書に代え満州移民事業とは何であったかの課題を識者に訴えるもの

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長野県滿洲開拓史・総編・各団編・名簿編・3冊/長野県民への総合的報告書に代え満州移民事業とは何であったかの課題を識者に訴えるもの

長野県滿洲開拓史・総編・各団編・名簿編・3冊でまとめてみました。昭和59年 841+957+1083頁 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。

発 刊 の ことば

満州開拓という大量移民政策は、肇国以来の国家的大事業でありました。満州事変当時は、昭和恐慌といわれる大不況の時代で、特に農村は極度の不況にあえぎ苦しんでいたのであります。この農村不況を打開するため、農村経済更生運動の一環として満州移民が重要国策としてとりあげられたことから、五族協和・王道楽土建設の理想を掲げて、満州開拓が全国的 な運動として推進されたのであります。土地の狭隘と過剰人口に悩む農村は、この重要国策の要請に応えて、広い満州に土 地を求め、安定した自作農経営に夢を託したのでありました。

時に政府は、昭和七(一九三二)年十月旧三江省永豊鎮に試験移民として第一次弥栄村を入植させ、続いて翌年は第二次千振郷を、さらに第三次瑞穂村、第四次城子河、哈達河と四か年の経験を重ね、その成果をふまえて十一年には本格的に大量移民政策の具体化に踏み切ったのであります。その年の八月二十五日、広田内閣は閣議決定により満州開拓を十大国策の一つとして位置づけ、二〇か年に百万戸、五百万人、計画最終の三十一年度には全満州国人口の一割に達することとする大 量移民の計画を策定したのであります。
昭和十三(一九三八)年には、十四、五歳の少年による満蒙開拓青少年義勇軍の第一次送出もおこなわれました。

翌十四年十二月には、日満両国政府によって「満州開拓政策基本要綱」が制定され、その基本方針は「満州開拓政策は日満両国の一体的重要国策として、東亜新秩序建設のための道義的新大陸の拠点を培養確立することを目的とし、特に日本内地人開拓民を中核として各種開拓民並びに現住民との調和を図り、日満分関係の強化、日満協和の達成、国防の増強及び産業の振興を期し、兼ねて農村の更生発展に資する。」 とされ、以下基本方針に基づく詳細な実施計画が示されました。

この国の施策に呼応して、長野県においても分村分郷計画が樹てられ、さらに戦局の推移とともに企業整備による転業移民の送出等も計画され、興亜教育訓練も、各層各団体により積極的に展開されたのであります。信濃教育会も、時の満州移住協会理事長小磯国昭陸軍大将を招き、松本市源池国民学校を会場として臨時総集会興亜教育大会を開催しましたが、県内教 育界は勿論遠く現地開拓団、義勇隊幹部の多数も参加しています。

満州開拓移民の送出は、『満州開拓史』によれば全国で一般開拓団 二四万二三〇〇、義勇隊二万二八〇〇、その他四九〇 〇、合計二七万人となっています。このうち長野県は、本史刊行会の調査によりますと、一般開拓団二万六三三二人、義勇 隊六九四二人、勤労奉仕隊その他四六七人、合計三万三七四一人となっており、二位を遥かに引き離す全国一の送出県となったのであります。昭和十八(一九四三)年四月十八日には、全国地方長官会議(現知事会)の席上、天皇より特に長野県 知事郡山義夫に対し、満州開拓に関する御下問があり、これに奉答した同知事は、感激して直ちに現地に慰問団を派遣し、 聖旨の伝達をしています。

全満各地に入植した一般開拓団、義勇隊は、それぞれに厳しい環境、過酷な自然条件と闘いながら、立派な成果を収めていたのであります。入植地の決定、土地の買収、取得はすべて満州拓植公社によっておこなわれましたが、公社と旧地主、現住民との間の意思の疎通が充分でなく不当な売買契約、強制立退きなどがなされた事実が数多く見受けられ、これらの不 満が鬱積され、やがて訪れた最後の日に一挙に爆発し、惨禍をさらに助長したであろうことは否定することができないよう であります。

大戦の推移とともに、開拓地にも臨戦態勢の確立、緊急食糧増産の要請がなされ、義勇隊もまた、国境地帯の軍貨物廠の 警備等に動員され、終戦直前には男子の根こそぎ動員令により、開拓地は老若婦女子のみの状態となったのであります。

昭和二十(一九四五)年八月九日未明、突如としてソ連軍の侵攻するところとなって、満州全土は混乱の中に包まれました。国境警備隊は無警告のままに後退してしまい、国境地帯に取残された開拓団、義勇隊はなす術もなく、世界移民史上未曽有といわれた大悲劇の中で、十余年間営々として築きあげた開拓事業は一瞬にして崩壊し去りました。

本史刊行会の調査によりますと、一般開拓団、義勇隊、勤労奉仕隊、その他において無事に帰国した一万七六九八人、殉難者一万四九三九人、残留者八八八四人、行方不明者二二〇人(昭和五十八年八月現在)という悲惨な結末となりました。しかし、このような大混乱、大惨事の中にあって、なお民族を超え、恩讐を超えた人類愛の温い行為が各地にみられたことは、特記すべきであり、その後の日中友好の強い絆となったことと併せて、深い感銘を覚えるものであります。

昭和二十一(一九四六)年引揚開拓民による全国開拓民自興会が設立され、長野県も直ちに支部を結成、引揚後の諸事業に対応して参りました。開拓自興会の最も悲願とする事業は、一万五千人に及ぶ殉難者の遺骨収集でありましたが、中国政府当局の承認するところとならず、今日に至ったことはかえすがえすも残念に思っております。しかしながら、その間に中 国政府より九十余柱の遺骨の送還を受け、昭和三十八年には中国黒竜江省当局の手によって、当時の開拓殉難者の遺骨を収 集し、方正県方正に「日本人公墓」を建立、懇ろに埋葬されました。これらの中国当局のご好意には、深い感謝を捧げるも のであります。

『長野県満州開拓史』の編纂は、永い間、関係者の待ち望んだものであり、幾度か県当局に対し請願や要望を繰り返して きたのであります。この度漸く気運が熟し、刊行の運びとなりました。まことにご同慶に存じます。

本史の目指すところは、決して消し去ることの出来ない悲劇の史実を関係資料を中心に虚構のない忠実な記述によって後 世に遺すことにより、犠牲者への鎮魂の賦とし、世界の恒久平和を訴えんとするものであります。さらに長野県民への総合 的報告書に代え、満州移民事業とは何であったかの課題を識者に訴えるものであります。そして、この開拓史が真の日中友 好の糧ともなれば、幸いこれに過ぎるものはございません。

本書は、昭和五十四(一九七九)年四月一日編集事業に着手致しました。長野県開拓自興会満州開拓史刊行会を設立し、 規約を定めて事務局を県庁内に設置、編さん委員二人(のち一人増員)のほか各委員を委嘱して事業を進めて参りました。


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